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ふたつのAIR 〜劇場版とアニメ版〜

目次
1.はじめに〜概略
2.劇場版AIR 感想
3.劇場版スタッフの見解 ―パンフレットより―
4.劇場版とアニメ版の差異〜アニメ版について簡潔に
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1.はじめに〜概略

AIRという名は、美少女キャラクターに通じてる者なら誰しも聞いたことはあるだろう。
世間ではミレニアムと騒がれた2000年に発売された恋愛アドベンチャー(18禁)で、
前作「Kanon」の評判も加わりその高い完成度は人気を呼び、
のちには全年齢版・PS2版が発売され、来月にはXPに正式対応した“廉価版”が出る予定である。

「AIR」は、奥深いテーマと難解にして様々な解釈が存在するラストシーンのため、
メディア展開は難しいと――少なくとも自分の中では――思われていた。
そんな中、劇場版、続いてアニメ版の製作が決まる。
上記に理由から、ファンの間では期待と不安が交じりつつも、待ち遠しい日々が続いた・・・。

2004年の終わり頃、詳細は知らないが劇場版は公開延期。
よって、アニメ版のほうが先にお目見えすることとなる。
その出来は作画や背景の高クオリティに加え、
原作を忠実に且つ必要な箇所を抜き出してると、希なまでの高い評価を得た。

そして・・・アニメ版が始まって一ヶ月ほど過ぎた2月上旬、劇場版公開。
しかし、その評価たるや散々なものであった。
賛否両論は一応あるものの、やはり批判意見が目だった。

しかし、賛成意見(これとて、“賛成”とは言いがたいが)を読む限り、
未鑑賞ではあるが、それほど悪いものなのかと考えるようになる。
名作ゲームの映像化失敗といえば、有名なONEのOVAがある。
だが、多くの人が「黒歴史」と呼ぶあれでさえ、自分はそれなりに評価しているのだ。
もちろんその評価とは、原作との比較ではなく、“一つの作品として”のものではあるが・・・。
(ONEは自分にとって重要な作品であり、その点からすれば酷いものであろう)

それから一月経った3月13日、サンシャインクリエイションのついでに鑑賞することとなる。
そしてその感想は、大筋では予想した通りであったが、一部では予想以上であって・・・。

次は、そんな劇場版の感想を。


2.劇場版AIR 感想 (当日の劇場レポは こちら*劇場版AIRのネタバレ注意

まず一言で表せば、「これはAIRであってAIRでない」といった感じ。
そして、純粋なファンであればあるほど劇場版を批判する原因がそこにあると思われる。
つまり、“原作に似せてしまった”のが悪かったのではないか。
比較として「ONE」のOVAを出すが、あれはもはや全くの別物である
しかし、だからこそ自分のような原作に思い入れがある者でさえ、評価できたのである。

こうした原作ありの劇場版とは、その対象をおおよそ原作経験者にしているはずである。
原作を知っている人は、 原作で感動したシーンなどがどのようにアレンジ(解釈、描写という程度が妥当か?)されるか、
といったことを求めるからだ。

だとすれば、確かに劇場版はとても評価できるものではない。
やたら積極的な観鈴ちんかわいいのでともかく、まるで別人のような神奈と柳也、
大人気な往人の人形劇、そして取って付けたような「ゴール」・・・。
純粋なファンが怒るのも、無理はない。

最初からやけに優しい晴子さん、というのもかなり違和感があった。
義理の親子である二人はお互いのことをあまり気にせず暮らしているが、
物語りの進行とともに本物以上の――例え血は繋がってなくても――親子になれる、 というのがAIRのテーマであったと思う。
劇場版でもそれが見られないこともないのだが、やはり違和感は禁じえなかった。

上にも挙げた、別人のような神奈と柳也にはひたすら苦笑するしかなかった。
まず、神奈が自分のことを名前で呼ぶのだ。(原作では「余」)
言葉遣いこそ同じものの、性格はかなり乙女。柳也に大しても「様」をつけるありさま。
一方の柳也は、これまた超美形。
確かに平安時代の髪型としてはこちらが正しいのだろうが、 やはり原作の性格からするとアニメ版のほうが合っていた。
でもって、何故か方術が使える。これはおそらく、出番がほとんど無い裏葉の代わりなのだろう。
そして、禁断の愛を交わす二人・・・を描いたシーン。
もうこのシーンは、正直目を覆いたかった
何が悲しくて柳也と神奈の“絡み”を――ギャグの範囲ならともかく――観なくてはならないのだ・・・。

まあ、これは自分の性格が大いに影響しているのでともかく。
確かに原作でも二人は惹かれあっていたかもしれない。
しかし神奈は、柳也を裏葉を救うために自ら犠牲になったわけで、
そうした悲恋の要素もSUMMER編では重要だと思うのである。
・・・つか、何で劇場版では人を愛するだけで呪われるのだろうか? (笑

そして、何と言ってもラストの展開である。
枯葉が舞う中(晩秋くらい?)、コートを着て旅する往人。
そんな金がある往人は往人じゃない! ということは、往人は生き残ってるわけで、
つまり、「ゴール」シーンも経験してるわけで・・・。
あの、AIRにおいてクライマックスであるシーンが、 唐突なまでの展開で迎えることはファンにとって激怒ものであろう。
まあ、それは上映時間の都合上仕方なかったのかもしれない。
(もちろん、だからって「重要だから入れるべきみたいよ?的な感じであったのは否めない」)

しかし、それよりも個人的に問題だと思うのは、正に往人の存在である。
そう、往人は“生き残ってしまった”のである。
原作では、転生したそらが飛び立ち、もしかしたら遥かな高みで観鈴(翼人)と再会できたのかもしれない。
これではSUMMER編の悲恋をまた繰り返してしまったことになるのではないだろうか?
・・・まあ、劇場版では柳也も死んでしまうので異なると言えば異なるが。

柳也たちの関係も含めて、こうした原作との違いは恋愛を重要視したためのようだ。
確かに原作でもAIRは「恋愛アドベンチャー」と銘打ってある。
実際、佳乃シナリオあたりは恋愛要素も強い。
だが、それとて比較的であって、AIRの本来の姿は「家族愛」であるというのは周知の事実である。
そのため、「ゴール」のシーンも往人は二番目であった。
この辺は不徹底というか、AIRを扱う以上仕方ないというか・・・。

と、このように批判ばかりしてるが、一方ではこういった展開も好きである。
それは、主観評価――正確には、元々ラブストーリーを求めてこの世界に入った自分の感性からすれば、
後日談かのように観鈴の最期を話し出し、そのままさすらいの旅を続けるというのは好みである。
死ぬまでかどうか分からないが、観鈴のことを想いながら生きてゆく・・・。うーん、悪くない。
だが、それもAIRという作品の客観評価が大きいため、やはりしっくりとこないのだ。
恋愛を扱うのは悪くない。
だがそれが、key作品――まして、一番恋愛要素が低い(と思う)AIRだったのが悪かったのだろう。

あと最期に、BGMについて。
簡潔に述べれば、サントラ買うほどじゃないかな、と。
唯一聴きたいと思うのも、祭りの観鈴を探すシーンで流れる「鳥の詩」のアレンジくらいだし。
まあ、あのシーンでは正直グッと来たりしたのだが、
それだって原曲が素晴らしいからだろうし・・・。

***

以上が劇場版AIRの感想である。
それでは次にパンフレットに記載されている監督の考えについてや、
アニメ版との比較に移ろうと思う。


3.劇場版スタッフの見解 ―パンフレットより―

パンフレットを読んでて思ったのは、「AIRの内容を一般向けにしたのか」ということ。
まずもって、スタッフのほとんどは所謂オタクではない。
ならば、そんな人たちに原作のテイストを理解させるほうが無理なのかもしれない。
ではせめて原作をプレイしてもらえば・・・と言いたいが、AIRのシナリオはあの長さである。
この手のゲームに成れていない人がクリアーするのは、正直困難であろう・・・。
(観鈴役の川上さんによると、原作は台本が11sもあって、ゲームのほうは長すぎてクリアーしてないとか)

さて、パンフレットをお持ちの方はご存知であると思うが、そこには脚本の第三稿が抜粋して載せられている。
その内容は、完成した映画と同様に現代と過去が織り交ざって進行する(『銀色』4章のような感じ)のだが、
これを読む限りでは原作にほぼ忠実であり、
さらにはラストで往人と観鈴が再会するという号泣必死な(笑)展開だ。
余談だが、これを読んでるだけでグッときてしまった。
本編よりもパンフレットのほうが良い内容(と思える)な映画って・・・。

話を戻す。
これから分かるように、脚本の人は原作をプレイしたと思われる。
それで上記の内容を書き下ろしたそうなのだが、如何せん、長すぎたとのこと。
当然だろう。アニメ版でさえ、「要点を抜き出してる」と言えば聞こえは良いが、かなり端折ってるのだ。
佳乃と美凪のシナリオを描いた4回分を除いても8回、1回あたりを20分とすれば160分。
劇場版は、その半分近い90分に収めなくてはならなかった。
この時点で、原作のままという可能性は潰えていたのだろう。

それから数ページめくると、オタクと思われる人が原作の解説をし、
続いてアニメ評論家という人が出崎監督について評価する内容が来る。
この、オタク側と一般人(?)側の文章が続くというのはなんとも面白い。
この両者は、完成した映画を観てどう思ったのだろうか・・・。

と、以上のようなことがパンフレットを読んで思ったことである。
(細かいことも含めればまだあるのだが・・・)
そういえばこれ読んで初めて気づいたのだが、劇場版での観鈴の病気は、 千年前の呪いとは全く無関係のようだ。
原作のイメージが強いからそんな勘違いをしてしまった。


4.劇場版とアニメ版の差異〜アニメ版について簡潔に

結局、劇場版AIRとは、初めに書いたことの繰り返しになるが、
「AIRを一般向けにしたもの」もしくは「一般人が解釈したAIR」ということなのだろう。
なるほど、原作のことを置いておけば、それほど悪い内容ではない。
映画化というのは原作ファンを対象にするのが普通だと思うが、今回は違ったらしい。
となると、製作を依頼した方としては、何が目的だったのだろうか。
やはり、原作を知らない一般人だろう。

AIRの内容は難解である、とは「はじめに」でも書いた。
だとすれば、そんな内容を90分でまとめ、一回の上映で一般人にその存在を知らしめるには、
内容の大幅な改訂、簡略化、もっといえば一般受けするようにするしかなかったのかもしれない。 もし多くのオタクに賞賛されるような内容にするなら、原作を理解しているオタクが製作するしかあるまい。
だが、映画制作に携わるような業界に、オタクは少ないような気がする。
映画というのは、無意識てきにも高尚なイメージがあるからだ。

では同じ“動画”でも、アニメならどうか?
「アニメーション学院」とかあるくらいだし、アニメーターを目指すオタクも多いだろう。
ならば、原作に忠実なものができるに違いない。
そしてその結果は、先日本編が終了したアニメ版の通りであり、結果、これが“救済”的な存在となる。

もちろん、そのアニメーターたちが全員オタクとは限らない。
だが少なくとも、監督は原作をプレイしていて、その内容を丁寧に再現してる。
そんなアニメ版について特集した記事について書いた内容は、
こちら を参照にしてほしい。

そのアニメ版は、確かに素晴らしい。
だが、それとて原作の素晴らしさがあるからで、スタッフはそれを再現してるだけなのである。
原作の絵に似てるとか背景描写が高クオリティということは、二の次ではないだろうか?
それを言うなら、原作のkeyとて業界の中ではトップクラスの技術を持っている。
しかし我々がAIRを評価しているのはその点ではない。
そのストーリーである。

だとすれば、アニメ版を批判するわけではないが、賞賛は過剰な気がするし、
あえて原作から離れた劇場版を(あくまでもその努力を)評価してもよいのではないだろうか?
もちろん、こんなことは理屈であり、「泣ければ勝ち」なのだが (苦笑



さて、ここまで長い文章読んでもらったお礼、というわけでもないが、壁紙を公開しておく。
拙い出来ではあるが、使用してもらえたら嬉しい。
また、今回の記事も合わせて感想などいただけたら感激である。

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